知識社会で成功してきた京都経営
―そしてこれからの心配―
京都経営は海外からも注目されてきました。
その誕生のきっかけは何か、そしてどうして今日になったのか、
自身の経営経験を幹にまとめ、報告します。
1.政治が去った跡地に、ベンチャーはじまる
1)近代京都経営誕生への問いかけ
2003.09のことです 「Visiting Kyoto」 一通の英文メールが届く。 英語に弱い私は開くべきかどうか、変なものでなかろうか、迷った末に開いて大きな驚きに出会うことになりました。
「マサチューセッツ工科大学のインダストリアルパフォマンスセンターでは、産学連携の国際比較検討プロジェクトを実施中で、日本では浜松と京都を調査します。京都様式の研究開発型企業の成功が歌われて久しい。そうした企業の成功が、どのような形で京都という地域にサポートされて来たのかを調査するものです。日経新聞のルート(京都在住の築地達郎さん)から貴方を紹介されました」
(記名にSachi Hatakenaka, MA,MPA,PHDとありました:メールを一部要約)
幸いにも日本語文であり、かつ大変明確な意図をもたれたミッションと理解しました。
私にとって電機メーカーの経営を辞し、コンサル会社設立に参加して10年。たまたま手がけていた「元気な京都の企業群、特に電機関連の企業のルーツ調査」に一区切りをつけようとしていた矢先でもありました。自分のこれまでのワークが、このような立場の方にどう評価されるか、大変意味深い機会と捉えました。
これからの連載は、その内容を後に補正し、私の目下の考えとしているものであります。