2011年9月30日金曜日

「はしやいだらいけまへん」 井上 喬

グローバルは、京都型企業ではお呼びでないようです。

売れるからといって、世界へ一生懸命売りにいかはる。
そら、始めのうちはよろしやろ。その内に真似しやはる人が、たんと出てきやはります。
現地の人に真似されます。
「回る寿司」とかいうて元気に乗りださはった。始めのうちはよろしいでしょう。
「日本食ブーム」とかいって、えらい元気に「たくさん店だしました」
沢山もうけはったでしょう。そやけど今頃どうです、えらい競争がきつなったとか。
挙句に、「日本人は、世界のマグロを独り占めしている」とか。

「大きするばかりが、能やおへん」
「人さんの畠をあらしたらいけまへん」
「一時のあがきは、くずれの始まり」

「事業仕分け」とかでスーパーコンピュターを「一番でないといけませんか」と指摘した大臣がおられ、物議をかもしたようです。でもどうでしょう。食の世界は「一番より、続くこと」の方が大事でないでしょうか?
「京都人は、変人か賢人か」お仕分けをお願いします。
                                    (了)

2011年9月28日水曜日

ISO研修を開催します!

こんにちは。RMI田邉です。
来月から、品質マネジメントシステム講座を開催します。

第一弾:ISO9001管理責任者・事務局の皆さまのためのネタ探し!
第二弾:ISO9001の基礎を勉強しよう!今年入社組の皆さま、お待ちしています!
第三弾:最近話題のJISQ9100(航空宇宙品質マネジメントシステム)対応講座!
いずれも、経験豊富な当社のコンサルタントが講師をつとめます。

少人数で参加者と意見交換をたくさんしながら進めていきます。
いつもと違う空間で、いつもと違う人と交流することは、いい刺激になり、
いい考えが浮かぶと思います。
お申し込みをお待ちしています。

詳しくはこちらをご確認ください。http://rmicon.co.jp/

2011年9月25日日曜日

京都を学ぶ ~経営編~ 第5回 (井上喬)

3.京の掟を心に、ドラッカーさんの教えを胸に

1)京のモノつくりの掟(京都経営のリスク)

 京の掟「人の畠を荒らしてはいけません、背伸びしてはいけません」は、この行動を経営の一番のリスクと戒めた考えと思います。
他の事業者がその市場で存続している、いわば生計を立てている。これを脅かすことは軋轢を生ずることに繋がり、結局は双方が傷つくことになりかねない。

一つの市場に、複数者が参入することは競争関係ができることであり、需要者からみれば価格が下がるか、サービスが向上するか、一見良いように思えます。
しかし京都の客はそのように考えない。熾烈な競争関係は、それが長く続くと、いずれ一方が破れる。そして最も忌み嫌う「独占」が顔を出す。こんなリスクが発生することは好まないのです。

 「ではどう対処するか」

 例えばロームの経営者、佐藤研一郎氏は「「当社はニッチの市場に特化し深耕する」と述べている。他の畠を荒らさないという信号でもあります。
かつて著者が在籍した株式会社井上電機製作所は製品の特徴から、心ならずも独占状態となり、結果買い側に反発の機会を提供することとなり、最終的に自ら市場撤退をする羽目となりました。

 現実には製品の品質が優れ、他に凌駕するようなものが出現しない場合もあります。この時の判断が重要です。
ともすると販売戦略の勝利とみがちでありますが、京都の経営者はひそかに質の優位の結果と理解します。
供給量を増やしたり価格を上げることなく、他方でさらなる品質向上を目指すとともに、供給者責任が発生することを理解し方策を打っていく。
要は、京都経営の一般的な形は無理な売上増加を求めない、独占は怖いものだという意識が経営者の根底にあるようです。


次回の配信は10月2日を予定しています。

2011年9月18日日曜日

京都を学ぶ ~経営編~ 第4回 (井上喬)

2.ベンチャーが、立ち上がる

2)電気事業者の出現(ベンチャーの心意気)

 1885年には、重電機企業「奥村電気商会」が東の日立製作所に対抗して設立されました。このことは後に数ある電気メーカー出現の基盤作りとも言うべき事柄であります。

その後この組織からスピンオフして株式会社大阪変圧器や著者がかって在籍した、株式会社井上電機製作所等があいついで出現することにつながりました。
その他資材部品を供給していた企業が事業をひろげ、後にあたらしい用途を見つけ出し、枝分かれして、多くの企業が出現するようになったのです。

まさに「京都電気のルーツ」の芽生えと理解しております。

創業時の経営者の意図を、文献等で調べると、明確な市場需要が発生するであろうと見込んでの創業と考えられます。
そしてさらに注目すべきは、創業してある期間の事業継続を経ると、もっと新しい需要があるとみてさらにスピンオフする起業者が出てくることであります。

この市場需要の見究めと、新しいウオンツに向っての飛び出し、それは親の甲羅から飛び出して新構想の甲羅をつくりだしていくように、勇敢であり異質の事業への夢託しでありました。

例えば、絶縁碍子メーカーの松風工業から、先ず義歯の松風陶歯、そして京都セラミック(京セラ)と進むし、奥村商会から井上電機がスピンオフし、さらにそこから在職された立石さんが退社されてオムロン社が誕生する。
ただ、だからといって勢いに任せ、他者のマーケットに闖入するようなことはしなかったようです。


次回の配信は9月25日を予定しています。

2011年9月12日月曜日

京都を学ぶ ~経営編~ 第3回 (井上喬)

2.ベンチャーが、立ち上がる

1)用途転換

疎水を通して水を送り、水車を廻して機織り機を動かすのでなくて、発電して電線でエネルギーを送るという画期的な方式の実用化は、その後京都の地に電気事業が芽生えていくための、大きな意志決定であったと思われます。
(この事業は、後発の他の同様事業と集積され、今の関西電力となっています。)

どうでしょう、平安神宮の前の疎水をたどってみてください。

流れは途中に哲学の道を従え、何故か北に向かいます。京都の町の勾配にさからっています。北上を重ねやがて松ヶ崎あたりから左折し、西に向かいます。そして驚いたことに加茂川の下を潜り、西陣地区を抜けてやがて、堀川、天神川に合流します。

120年前の京都人壮大な心意気を味あわれては?


次回の配信は9月18日を予定しています。