2011年9月18日日曜日

京都を学ぶ ~経営編~ 第4回 (井上喬)

2.ベンチャーが、立ち上がる

2)電気事業者の出現(ベンチャーの心意気)

 1885年には、重電機企業「奥村電気商会」が東の日立製作所に対抗して設立されました。このことは後に数ある電気メーカー出現の基盤作りとも言うべき事柄であります。

その後この組織からスピンオフして株式会社大阪変圧器や著者がかって在籍した、株式会社井上電機製作所等があいついで出現することにつながりました。
その他資材部品を供給していた企業が事業をひろげ、後にあたらしい用途を見つけ出し、枝分かれして、多くの企業が出現するようになったのです。

まさに「京都電気のルーツ」の芽生えと理解しております。

創業時の経営者の意図を、文献等で調べると、明確な市場需要が発生するであろうと見込んでの創業と考えられます。
そしてさらに注目すべきは、創業してある期間の事業継続を経ると、もっと新しい需要があるとみてさらにスピンオフする起業者が出てくることであります。

この市場需要の見究めと、新しいウオンツに向っての飛び出し、それは親の甲羅から飛び出して新構想の甲羅をつくりだしていくように、勇敢であり異質の事業への夢託しでありました。

例えば、絶縁碍子メーカーの松風工業から、先ず義歯の松風陶歯、そして京都セラミック(京セラ)と進むし、奥村商会から井上電機がスピンオフし、さらにそこから在職された立石さんが退社されてオムロン社が誕生する。
ただ、だからといって勢いに任せ、他者のマーケットに闖入するようなことはしなかったようです。


次回の配信は9月25日を予定しています。