2012年12月25日火曜日

植木屋さんに教えられる


我が家の小さい庭にある木蓮(紅白2本)と月桂樹などが伸びてきて、手に負えなくなってきたので、昨年から植木屋さんに来てもらうことにしている。
今までは自分で、家族の手伝いを頼りに切ってきたが、成長に追いつかなくなってきて、それも出来なくなった。

昨年から、来てもらっているのは、まだ若い(個人で営業している)植木屋さんである。

最初、すこし枝を切ってから、木をじっと見つめているので(それも10分以上も)
木の形を格好よく整えて欲しいのと、全体にもっと小さくしてほしい(今は高さ5~6m位まで伸びてしまっている)と注文をつけた。しかし、主となる幹と脇役的な枝とをきちんとしてほしいと言っても、なかなか動いてくれない。

彼がしばらくしてポツリと曰く、
「それも、宜しいのですが、あまり小さく切ると、木が傷んで枯れる。来年木蓮の花も咲かなくなる、好ましくは、だんだんと命を木の内部に貯めながら、全体に小さくしていくにはどうしたらいいのかと考えて(木と相談して)いる」のだと。

正直、感心した、後はお任せである。しばらくして「木との相談」が出来たのだろう、後は休むことなく仕事に入っていった。

もう大分前になるが、別の植木屋さん2人に任せたところ大きく刈り込まれ、次の年には何本かが枯れてしまったことがあった。
木を刈り込んで綺麗にしていくことは実際にはとても難しいのである。

   リスクマネジメントを研究する会社   ㈱アール・エム・アイ  江嵜 為丸

2012年12月17日月曜日

稲むらの火2(ソーシャル・リスク・マネジメント学会報告)


「稲むらの火」の話は安政の大津波のときのことであり、今からざっと160年前のことである。
今回の東日本大震災時の大津波やその前の明治の大津波でも、このような人の心をうってやまない話が多くあると思われるので、今後の事故防止(ソフトリスクコントロール対策)のいい例としてきちんと整理し、後世に伝えていかないといけない。
11月17日のソーシャル・リスクマネジメント学会で紹介された事例(関西大学 林准教授)報告があったので一部であるがご紹介したい。
まずは、東日本大震災の時、津波に襲われた岩手県釜石市立鵜住居小学校と宮城県石巻市立大川小学校の余りにも極端な比較であった。

前者は、学校にいた児童・生徒教職員約570名が全員無事であって、「釜石の奇跡」といわれ、それに反して後者は、児童の死亡・行方不明74人(108人中)、教職員の死亡・行方不明10名(11人中)という犠牲者を出し「大川小の悲劇」といわれている。

前者では、津波の襲来が見えたので全員でとにかく高台に避難した。
後者ではマニュアルどおり校庭に集合し、対応を検討していたが、津波が実際に見えなかったため避難が遅れ、またあわてて山に登ろうしたが雪で滑って登れなかったという。突き詰めれば津波が来たらとにかく急いで高い所に逃げるという原則が徹底されていたかどうかの差ということになる。

もう一つの事例は、2004年12月26日のスマトラ島沖地震・大津波の時に、プーケット島に遊びに来ていた、イギリス人少女ティリーちゃんの話。
津波が来る!と両親に伝え、海岸に遊んでいた人々をホテルに避難させ多くの命を救ったという。
彼女は海水が退くと10分後には津波が来ることを学校の防災教育で学んでいたので、その時すぐに対応することができたという。
イギリスでは、2002年にリスク教育を選択科目から必須科目(義務教育)に切り替えていた。

これは逸話である。
2005.1月、スマトラ島沖地震・大津波を受け、ジャカルタで東南アジア諸国連合緊急首脳会議が開かれた席上、シンガポールのリー・シェンロン首相が小泉純一郎首相(当時)に、「日本では小学校教科書に「稲むらの火」という話があって、子供の時から津波対策を教えているというが事実か?」と尋ねた。しかし、小泉氏は戦後世代なので、この話を知らなかった。東京の文部科学省に照会したが、誰も知らなかったという。(佐々淳行「ほんとに彼らが日本を滅ぼすp161)

私も学校で教えられた記憶は無い。おそらく日本人の大多数が、この状態に今もあるのだと思うと恐ろしい気がする。(2011年から再度教科書に取り入れられたそうだが。)
                          ㈱アール・エム・アイ   江嵜 為丸

「稲むらの火」(ソフトリスクコントロールの必要性)

あまり知られていないが、11月5日は津波防災の日だそうだ。
これは、安政時代の南海大地震(1854.11.5)を忘れないようにと定められた。

昔は、このときのことを「稲むらの火」という話として小学校5年2学期の教科書で教えていた。(昭和12年から昭和22年まで)

しかし、その後学校でも教えなくなってしまったのはなぜだろうか。その結果、おそらく大部分の日本人は教育されていないはずだ。(調べてみたら、2011年より再び小学校の教科書に掲載されている由。東日本大震災の反省からであろうか。)

これは、和歌山県岩佐の醤油屋の創業者であった濱口儀兵衛氏が、津波来襲の恐怖に、逃げ道を失った人々のために束ねてあった自らの稲に火をかけて安全避難路を確保した話がモデルになっている。(これは史実である)

教科書では、中川常蔵氏とラフカディオ・ハーンの感動的な名文が尊重され、すこし異なる美談として書かれている。

村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合いへ退いていくのを見て津波の来襲に気づく。祭の準備に心奪われている村人たちに危険をしらせるため、五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)にたいまつで火をつけた。火事とみて消火のために高台に集まった村人たちの眼下で津波が猛威を振るう。五兵衛の機転と犠牲的精神によって村人たちはみな津波から守られた。(ウイキぺディアより引用)

東日本大震災から1年半余が経ち、次第に日本人の心の中からそのときの記憶が薄れ始めている。
今必要な、そして出来ることは、地震津波対策として、ソフト面での対策の強化である。
ハード面(防災設備強化など)だけでは災害を防ぎきることは難しいことが今回痛切に分かったのだ。

具体的には、小学校中学校といった子供たちに、防災、避難、助け合いなどをきちんと教えていくことである。(できれば戦後世代の大人たちにも)

今回の震災でも、他人を捨てて自分だけ逃げることが出来ず、結果として自分の命も失った人々の多くあったことが知られている。緊急時に逃げにくい人々(高齢者や病床の人など)をどうするかを含め、よく話し合い、まずは自助努力で自分を助ける仕組みの必要性を教えていくことであろう。こういうワークがソフトリスクコントロールということである。

(これらのお話は、11月17日ソーシャル・リスクマネジメント学会の報告を兼ね、専修大学上田先生、学会理事長戸出先生から報告された内容をベースに作成しました)
                          ㈱アール・エム・アイ  江嵜 為丸

2012年12月12日水曜日

チームワーク

One for all,All for One. 
この言葉は、ラグビースピリットを表す言葉としてよく知られている。
(元々はアレクサンドル・デュマの名作「三銃士」に由来するという。)

ラグビーでは楕円型ボールを扱うので、落ちたボールはどちらに跳ねるのか分からないから面白い。上記の言葉はこのフォローに全員が無駄なく動いている状況を言うと私は思っている。
何のためかというと、チームの勝利のためである。All for OneのOneは個人のためというより一つの目的(すなわち勝利)という方がわかりやすい。(平尾誠二氏(元全日本監督)も同じことを言われていることを最近知った。)

勝利のためには、全員がボールのある状況を判断し、変化に対応出来るように集中していることが必要である。その為に、まずは全員がプロにならなければならない。

試合は、刻々とかつ激しく変化するため、なかなかフォローができないが、しかしその中で勝利のために自分が今何をするべき立場にあるのかを考え、指揮者の下(作戦や計画の下)、言われなくても実行していくことがプロの役目である。そんなチームは強い。

「自分だけ何とかよければ良い」という気持ちが強くなってくると、スタンドプレーが生まれ、他人に責任を転嫁していくことがまかり通るようになり、チームは敗北する。

企業のチームワークはこれと似た所がある。
個人技にたよる組織とチームが協力しあう組織とでは長期戦では後者が勝利する。
総合力を発揮せよ、協力して頑張れ、いつも言われるのだが、なぜか今一になってしまうことが多いのは何故か?組織に勝つことへの執念が衰えるときそれはより明瞭になる。

スポーツの世界にはまず「想定外」の出来事はない。
企業においても、裏分析をすすめているならば、「想定外」は起こりえない。
「想定外」を想定していくのが裏分析だからである。そのような組織にしていくのは、社員一人一人の自覚と決意以外にはない。

ところが、悲しいかな、人間は、いくつになっても、過ちや、ねたみや、嫉妬や、怒りから脱することができない。出家して深山渓谷に分け入って滝に打たれ、荒行をしても困難だというのが仏教の教えである。

「報連相(ほうれんそう)」という言葉がよく言われる。
「報連相」は根底から改善の出来ない人々からなる組織のために先人が考えだした経験的知恵だと思う。うまく活用していただきたい。

                       ㈱アール・エム・アイ    江嵜 為丸