2012年12月17日月曜日

「稲むらの火」(ソフトリスクコントロールの必要性)

あまり知られていないが、11月5日は津波防災の日だそうだ。
これは、安政時代の南海大地震(1854.11.5)を忘れないようにと定められた。

昔は、このときのことを「稲むらの火」という話として小学校5年2学期の教科書で教えていた。(昭和12年から昭和22年まで)

しかし、その後学校でも教えなくなってしまったのはなぜだろうか。その結果、おそらく大部分の日本人は教育されていないはずだ。(調べてみたら、2011年より再び小学校の教科書に掲載されている由。東日本大震災の反省からであろうか。)

これは、和歌山県岩佐の醤油屋の創業者であった濱口儀兵衛氏が、津波来襲の恐怖に、逃げ道を失った人々のために束ねてあった自らの稲に火をかけて安全避難路を確保した話がモデルになっている。(これは史実である)

教科書では、中川常蔵氏とラフカディオ・ハーンの感動的な名文が尊重され、すこし異なる美談として書かれている。

村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合いへ退いていくのを見て津波の来襲に気づく。祭の準備に心奪われている村人たちに危険をしらせるため、五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)にたいまつで火をつけた。火事とみて消火のために高台に集まった村人たちの眼下で津波が猛威を振るう。五兵衛の機転と犠牲的精神によって村人たちはみな津波から守られた。(ウイキぺディアより引用)

東日本大震災から1年半余が経ち、次第に日本人の心の中からそのときの記憶が薄れ始めている。
今必要な、そして出来ることは、地震津波対策として、ソフト面での対策の強化である。
ハード面(防災設備強化など)だけでは災害を防ぎきることは難しいことが今回痛切に分かったのだ。

具体的には、小学校中学校といった子供たちに、防災、避難、助け合いなどをきちんと教えていくことである。(できれば戦後世代の大人たちにも)

今回の震災でも、他人を捨てて自分だけ逃げることが出来ず、結果として自分の命も失った人々の多くあったことが知られている。緊急時に逃げにくい人々(高齢者や病床の人など)をどうするかを含め、よく話し合い、まずは自助努力で自分を助ける仕組みの必要性を教えていくことであろう。こういうワークがソフトリスクコントロールということである。

(これらのお話は、11月17日ソーシャル・リスクマネジメント学会の報告を兼ね、専修大学上田先生、学会理事長戸出先生から報告された内容をベースに作成しました)
                          ㈱アール・エム・アイ  江嵜 為丸