2012年12月17日月曜日

稲むらの火2(ソーシャル・リスク・マネジメント学会報告)


「稲むらの火」の話は安政の大津波のときのことであり、今からざっと160年前のことである。
今回の東日本大震災時の大津波やその前の明治の大津波でも、このような人の心をうってやまない話が多くあると思われるので、今後の事故防止(ソフトリスクコントロール対策)のいい例としてきちんと整理し、後世に伝えていかないといけない。
11月17日のソーシャル・リスクマネジメント学会で紹介された事例(関西大学 林准教授)報告があったので一部であるがご紹介したい。
まずは、東日本大震災の時、津波に襲われた岩手県釜石市立鵜住居小学校と宮城県石巻市立大川小学校の余りにも極端な比較であった。

前者は、学校にいた児童・生徒教職員約570名が全員無事であって、「釜石の奇跡」といわれ、それに反して後者は、児童の死亡・行方不明74人(108人中)、教職員の死亡・行方不明10名(11人中)という犠牲者を出し「大川小の悲劇」といわれている。

前者では、津波の襲来が見えたので全員でとにかく高台に避難した。
後者ではマニュアルどおり校庭に集合し、対応を検討していたが、津波が実際に見えなかったため避難が遅れ、またあわてて山に登ろうしたが雪で滑って登れなかったという。突き詰めれば津波が来たらとにかく急いで高い所に逃げるという原則が徹底されていたかどうかの差ということになる。

もう一つの事例は、2004年12月26日のスマトラ島沖地震・大津波の時に、プーケット島に遊びに来ていた、イギリス人少女ティリーちゃんの話。
津波が来る!と両親に伝え、海岸に遊んでいた人々をホテルに避難させ多くの命を救ったという。
彼女は海水が退くと10分後には津波が来ることを学校の防災教育で学んでいたので、その時すぐに対応することができたという。
イギリスでは、2002年にリスク教育を選択科目から必須科目(義務教育)に切り替えていた。

これは逸話である。
2005.1月、スマトラ島沖地震・大津波を受け、ジャカルタで東南アジア諸国連合緊急首脳会議が開かれた席上、シンガポールのリー・シェンロン首相が小泉純一郎首相(当時)に、「日本では小学校教科書に「稲むらの火」という話があって、子供の時から津波対策を教えているというが事実か?」と尋ねた。しかし、小泉氏は戦後世代なので、この話を知らなかった。東京の文部科学省に照会したが、誰も知らなかったという。(佐々淳行「ほんとに彼らが日本を滅ぼすp161)

私も学校で教えられた記憶は無い。おそらく日本人の大多数が、この状態に今もあるのだと思うと恐ろしい気がする。(2011年から再度教科書に取り入れられたそうだが。)
                          ㈱アール・エム・アイ   江嵜 為丸