2011年8月29日月曜日

京都を学ぶ ~経営編~ 第2回 (井上喬)

1.政治が去った跡地に、ベンチャーはじまる

2)電気関連企業のルーツ
 (ゼロから始まる、新生京都の基盤づくり)

 1869年東京遷都。急に天井が抜けて柱だけになった空間に、今でいうベンチャーの気分が、いやがうえにも盛り上がりました。
それは最早政治に頼れない社会、頼れるのは自分だけであるという、後の京都人、取り分け経営を志す人々に大きなモチベーションを提供することとなったことは、想像に難くないのではと思います。

 現在の先進国の中で、首都機能が突然抜け出したという歴史は他に聞かれないと思います。これが今日の京都の始まりと解すると、京都経営の特色が判りやすいのではないでしょうか。

幾つかの企画の中に、琵琶湖から疎水を引き、飲料・灌漑・水車による織機の動力源という当時としては大きな社会的意義のある企画があったと思われます。
しかもこれは北垣国道知事が、一大学生の卒論を取り上げたものでした。

1883年のことです。工事の進捗は速く1890年には完成に至るのですが、工事の終盤になりヨーロッパで発電機が開発され、電気事業というものが世に出現しました。
知事はこのことを知り、素早く疎水事業の用途転換を決断したのです。


次回の配信は9月11日を予定しています。