2013年2月22日金曜日

~リスク、経験からの報告~ 第一回(井 上 喬)

 当社はリスクを研究している会社です。
だからといって、リスクについて全てが理解できているものではありません。また、世の中でも「リスクとは、なんだろう」と色々のご意見があります。
ただ、これらを総じて「リスクマネジメント」と呼んでいます。しかもその内容について、大方の方々が認めるような「定説」もありません。当社もそれなりの提言を持って業務を行っています。
 ただそのような考えの中「経験したリスク」だけは、紛れもなく存在した現実です。そんなことから経年齢大の私から報告します。ご関心頂ければ幸いです。

「経験した、天災リスク」三題です。

第一回 「天災をどう迎えるか」- 阪神淡路大震災からの報告
              ― 知識と知恵のお話し -

第二回 「天災の最中とは」- 東南海大地震からの報告
         ― 偶然と運と機転のお話し -

第三回 「天災がやってくる」― 「室戸台風・伊勢湾台風」
         ― 無知と予知と既知のお話し -

それでは今日は、第一回です。


第一回 「天災をどう迎えるか」- 阪神淡路大震災からの報告
         ― 知識と知恵のお話し -

 1995年「阪神大震災」から18年、当時の事がいろいろ思い出されます。
当日午前5時46分、私は京都向日市の自宅で寝ていました。
突き上がって来る様な揺れ、一瞬にして直下型でない西南の方向だと判断しました。
実は私、東南海地震(これについては次回報告)づれしていました。

 神戸の方角、とっさに従兄弟達がいる大丈夫だろうか?4日めから情報が入りだしました。まず家内の従兄弟夫妻、芦屋の立派な家に住んでおられました。たまたまご主人の方は病院入院中で難を逃れられました。家が倒壊し奥さまは大怪我をされた由。
他方私の従兄弟は、ご主人に先立たれ夙川の古い借家住まいでした。多分駄目だろうと思ったが、案に相違して無傷でした。

 これだけならただの報告ですが、少し事情がありました。これからが本題です。

 芦屋のF氏宅を、夙川のNさん宅は同じ甲山破砕帯の真上にあったのですから、双方の家とも完璧に崩壊しつくしてしまいました。

 ところで芦屋のF氏は、某市立大学の署名な地質学者でした。或る時こんな忠告を頂きました。「喬君、六甲山は大変脆い地質なんだ、だから新幹線の六甲トンネルは危ないよ。僕はね、東京へ行く時は新大阪から乗り、九州へ行く時は新神戸から乗る事にしているよ」と。
やはり学者はえらいもんだな、と思いましたが、自分が九州へ行く時はどうすればいいのかな?解けぬ難題として今も残っていて、九州へ出かける時は、六甲トンネルを抜ける時なんとなく胸騒ぎがとまりません。

 さて一方、夙川のNさん、完璧につぶれてしまった建物でどうもなかったのか?
「なにいうてんの。喬ちゃん、あんたのお陰で助かったんよ」
「へぇ、私何言いました?」
「あんたな、“古い木造の一階は絶対危いで、二階で寝てな、枕元に丈夫な机をおいて、メガネを忘れずハンコと通帳もちゃんと持ってな。”こないに言うてくれたんよ。そやしその通りにしてたの。グラっと来たのでフトンにもぐって、ハンコと通帳を抱いてな、揺れて揺れて、ガタンガタンと落ちて行ったんよ、やっと揺れがおさまって、フトンから顔を出したら、天井が割れていて空が見えたんよ。30分程たって近所の人が助けに来やはったら私が無傷やったんでビックリしてはった。」

この辺りでストップします。

 どうでしょう皆さん。芦屋のFさんは知識の対策、夙川のNさんは智慧の対策、両方のお宅が甲山断層の上にあった、偶然。

 今、訪れても双方とも跡形もありません。天災に立ち向かう人間。「知識なのか智慧なのか」突きつめて見ても、答えはないように思います。それよりも、もう一つ「運」もあるかも知れません。

 次回は半田の地震体験「東南海地震」の報告をします。

1900年以降の巨大地震ビック20(ご参考)

 
名称
M
1位東北地方太平洋沖(東日本大震災)20119.0
2位十勝沖19528.2
3位北海道東方沖19948.2
4位昭和三陸19338.1
5位択捉島沖19588.1
6位択捉島沖19638.1
7位喜界島19118.0
8位択捉島沖19188.0
9位昭和南海19468.0
10位十勝沖20038.0
11位大正関東(関東大震災)19237.9
12位昭和東南沖19447.9
13位十勝沖19687.9
14位硫黄島近海20007.9
15位色丹島沖19697.8
16位北海道南西沖19937.8
17位父島近海20107.8
18位日本海中部19837.7
19位択捉島沖19957.7
20位石垣島南方沖19987.7
注―1 東日本地震はM9.0と群を抜いて巨大な規模でした。
注―2 阪神淡路地震は規模としてはM7.356位でした。
注―3 私が遭遇した昭和東南海地震はM7.912位でした。

備考「地震の規模と震度の関係」
この関係は電球の「明るさの度合いと眩しさ」に似ています。
同じ100ワットでも、眼前で見るのと離れてでは違います
こんなことから、眩しさのところを「震度」と呼んでいます。
Mの値が小さくとも、震度は大きいこともあります。
昔は「微・弱・強・烈」でしたが。今は数値化されました。

過去の著名な地震の規模と震度
関東大震災 M7.9-震度7以上(想定)
昭和東南海 M7.9-震度不明(地震計破損)私の体験地震
阪神淡路地震 M7.3-震度7以上
東日本地震 M9.0-震度7以上

私の経験した、昭和東南海地震は次回報告します。

(第一回おわり)