2013年4月16日火曜日

~リスク、経験からの報告~ 第一回の続き(井 上 喬)

皆さん、阪神淡路地震のご経験お持ちの方は多いようで、いろ
いろと「ご質問」「ご意見」を頂きました。有難うございます。
中に、「あなたなり(井上)の意見アドバイスを纏めて欲しい」
が多くありました。
そんなことで、弟二回の前に「第一回の続き」を書かせていた
だきます。

①「実地やテレビの画面」で、「てこ」の利用が殆どありませ
んでした。そのため、おもい木材などの下敷きになられた人
を、救い出すため難渋されていました。多くの人を集め、重
量物を皆で抱え上げておられました。「てこ(梃子の原理)」
を応用されれば、随分事体は違ったのではないでしょうか、
最も学校で「梃子」というう「字」すら、習ってられないの
でしょう、考えどころですね。
②また同様に、「綱引きの応用」も殆どみられませんでした。
もっともこれも周囲に、綱など見当たらないですね。
③次は「規格問題」です。当時全国の自治体から「水道・ガス
の復旧応援部隊」が、多く駆けつけられたのですが作業は難
渋の繰り返しでした。「口径寸法・ねじのピッチ」が、自治
体により異なり、大変困られた様子でした。
その後、統一化が進んでいると聞きますが、早い進展を願い
たいものです。
④「エネルギー開通の手順前後」地震で倒れた、建物などから
漏れ出したガス類は、一般的には地面の低いところに溜まっ
たままです。ここへ、停電中だった電気が復活し通電すると、
冷蔵庫のようなサーモスタット(自動恒温装置)のついた器
具は作動し、スパークがでます。これによる出火が多発した
ようです。
 ⇒ こればかりは、訓練も出来ません。「知識として持っ
て頂き」咄嗟の場合に対応して頂くしかないようです。
⑤「交通渋滞問題」です。詰まるとは本当に詰まるのです。
当時の事情では、東西の道路の大半は山陽側に集中していま
した。山陰側は、片側一車線の9号線だけ、そこへ無数の大
型トラック。京都市内を抜けるときは、100m1時間といわれ
ました。当然交差点も同じです。ですから、この9号線が東
へ抜ける通称五条通りは、東西南北どの方向も氷結状態とな
りました。そうなんです、街中がフリーズしていまいました。

日本の多くのインフラは、それぞれが計画された時代から、
今日ではその社会・風土・技術が大きく変わりました。
多重化・高度化・広域化し、それに技術の進歩が大きく変わ
りました。それぞれの企業でも同様なのです。
それにつれ「災害も成長しました」(変な表現ですが、講演な
どでこのように表現すると一番理解して貰い易いです)、
要は局部的な解決より、綜合した回復を目指すことが大切と
提言します。

     Solution   解決するから
          Recoverry    回復へ

 「つぶやき」
 情の時代から、知識の時代へ
日本人は、長い「情の時代」という祖先を持っています。(平安京)
そこでの暮らしから得た「教訓や掟」といった、便利な極まりごと
は、知恵(智慧)として、世代を超えて伝承されました。
京都に祇園会(祭り)の鉾の巡行というのがあります。その最大の
見せ場「辻回し」は、知恵の見せ場として、最高のシーンです。
普通の家の三階もあろうかという、木組みの建造物、移動は直進
しかできない木車。これを90度転換しようという、角曲がりです。
ここで活躍するのが「梃子と綱引き」です。
「梃子の原理」で重量物を持ち上げ、「綱引きの力」で方向転回
するという、「大道実演」です。

長い情の時代という先祖を持つ私達は、興奮します。
一方、知識の時代を多くもたれる外国の方々は、直進しか出来な
い車や、馬車やトラクターで引かない重量物を、何故人間だけで
操作するのか、不思議と驚きをもたれるようです。

このように同じ災害に出くはしたときに、民族により差が出るといわ
れます。滞留される外国の方が多くなった昨今、非常口の表示な
ど、心配りが大切と思います。

                     第一回の続き  ―了―