2011年10月10日月曜日

京都を学ぶ ~経営編~ 第6回 (井上喬)

4.概念に向かって開発する

1)一つの挿話、「ドラッカーの登場」であります。

 オムロンの立石社長は、東京で同氏の講座に出席し大いに感銘を受けられる。そして後にオムロンのコンサルテングに迎えられる。そして「社会生態が変わるから、新しい需要が誕生する」という同氏の教えを実地に実行されました。

 私自身、京都電機工業会(いまは存在しません)の会合で、立石さんから直接お話を頂く機会を頂きました「これからは、人手不足が始まりますから、自動化のための道具がいりますよ、難しく言えば『その社会に必要な概念』に向かって開発がいるということです」

 何年か後に、自社内で、このことを実感し幾つかの開発が実現しました。
まさに感謝また感謝でありました。(正直、当時の若造には、少々難解でありました。)

2)前項で述べた各社もまさにこの「概念に向かって開発を進められた」各社であります。

 何故この様な気風が京都に育ったのか、冒頭に述べたマサチューセッツ工科大学の畑中氏との「企業行動の比較検討」でこの点が、かなりの論点になりました。
現地へ来て「何故こんなに特色ある企業が集中しているのか」との発言が何度かありました。
 「先読みの納得社会」だと説明しました。すると「一層解らない」と問い返されました。
「競争が前提ではありません。電気の需要は家庭から個人へと変わって行きました。それを追わずに、何時までも公共インフラや大型工場などの大型機器への、需要を追いかける矛盾をいっているのです。」と説明、併せこうした判断を得るには、卓越した感性が必要でしょうと述べました。

 実際先に挙げた創業者の方々は、大変な感性の持ち主なのです。
オムロンの立石さんは、画筆を持たれる。ロームの佐藤さんはピアノの名手、村田の村田さんは有名な蝶のコレクター、京セラの稲盛さんは仏籍をもたれると説明しました。畑中さん理解を進めていただいたようでした。

ところでこの様な京都経営も一方で、不可解社会と思われるリスクを持っていると思います。


次回の配信は10月16日を予定しています。